地域コト

カネは世間に落ちている。拾い方を考えろ――「軽トラ」で始めた町おこし鍋合戦の川南町発、地域を元気にする方程式

軽トラ市の発端はラジオで聞いたあの一言

 「ここまで育つとは誰も思っちょらんかった」。軽トラ市を発案した川南町商工会の市来原氏は笑う。実は、軽トラ市の歴史は新しい。記念すべき1回目は2006年9月。そのきっかけはラジオから聞こえてきた些細な一言だった。

 トロントロン商店街で果物屋を営む市来原氏。ある時、仕事の合間にラジオを聞いていると、「九州のどこかの農家が港町に軽トラックで農作物を売りに行った」――という内容の放送を聞いた。普通に聞くと、「それがどうした」という程度の話だが、市来原氏の頭には、「軽トラ」=「農作物」=「販売」というキーワードが有機的に結びついた。

 「いつか軽トラで市ができんじゃろか」。そう思っていたところに思わぬ機会が転がり込んだ。川南町の商工会で定期市を開催することになったのだ。市来原氏の話によれば、商工会の前の役員が定期市を提案。それがそのまま採用されただけでなく、宮崎県の補助金まで取得していた。

次の課題は出店者の確保だった。軽トラ市はそれまでに誰も経験したことのないイベント。何を売ればいいのかも分からなければ、どれだけの客が集まるのかも分からない。取りあえず、農協の直売所に出店している農家や川南町漁協、畜産関係者、宮崎県内の商工会議所などに声をかけた。

 「通浜(「とおりはま」、川南漁港のこと)の知名度はかなり上がった。漁協の直売所に来る客も増えている。軽トラ市の影響は大きい」。川南町漁協の児玉直樹常任理事は言う。川南産の農産物を宮崎市内で売る際も、「軽トラ市の川南町」と言うだけで、客が手に取ってくれるようになった。

 もちろん、すべての商工関係者が軽トラ市の恩恵に浴しているわけではない。大量の買い物客が訪れるのは月に1度。平日の商店街の活性化にはつながっていない。平日のトロントロン商店街はかなり閑散としており、その姿は賑わいを失った地方のそれと変わらない。
軽トラ市の出店者を見ても、川南町の関係者は3割ほど。残りは町外の出店者だ。「なぜよその人間のために市を開かなければならないのか」「商店街に何のメリットがあるのか」という声が町に存在していることも事実である。
 とはいえ、特別な観光資源に恵まれているわけではない川南町に、大勢の買い物客が集まるのは普通に考えればあり得ないこと。この資源をどう生かすか。それを考えるのは住民自身である。軽トラ市事業委員会の副委員長を務める河野仁延氏も言う。「カネは落ちている。拾い方は自分たちで考えてほしい」。